磐梯山ジオパーク > H.猪苗代中央エリア > H-49 磐椅神社



磐椅(いわはし)神社


(写真1)磐椅神社を出発する御神火行列

磐椅神社社殿

応仁天皇の御代(西暦270年ころ)、磐梯明神として磐梯山頂に祀ったのが始まりと言われ、729(天平元)年に現在の場所に遷座されたと伝えられている。 10世紀の始めに編さんされた「延喜式」(えんぎしき)の神名帳に耶麻郡一座として記載され、社格の高い神社であった。 猪苗代城を築いた猪苗代氏をはじめ代々の領主に庇護されてきて、社殿も荘厳なものだったと伝えられている。

1609(慶長14)年に切支丹(きりしたん)であった岡越後が会津領主・蒲生秀行の猪苗代城代となると、社領は没収、社殿は焼かれ参拝が禁止された。 その後、初代会津藩主・保科正之は荒れた神社を復興、自ら祀られる神社を磐椅神社の末社とし、近隣の信仰を集めている。 毎年、開催されている磐梯祭りの「御神火(ごじんか)行列」の出発地点になっている(写真1)。


伝説「磐梯山の魔魅(まみ)~足長・手長~」

足長・手長の話は、全国的に広く分布しているものだが、会津地方各地には「磐梯山の足長・手長」として語り継がれている。 猪苗代に伝わる足長・手長の伝説は、次のようなものである。

昔々、猪苗代盆地がまだヨシ谷地に覆われ、磐梯山は病悩山と呼ばれていたころである。 磐梯山には足長・手長という魔ものが住んでいた。夫の足長は、磐梯山と高田にある明神ヶ嶽にまたがって、雲をあつめお日さまをさえぎっていた。 妻の手長も磐梯山に腰をかけ、長い手で猪苗代湖の水をかきあげて振りまくので、毎日、風雨にさらされ、そのために作物が実らず、人々は大変困っていた。

そこに、旅の坊さんが通りかかり、退治することになり、魔物を呼び出した。 「お前たちは、たいそう大きな身体をしているが、小さくなって、この手のひらにある鉄鉢の中には入れないだろう。」というと、自慢げにどんどん小さくなって鉄鉢の中に入ってしまった。

坊さんは、この時とばかり、鉄鉢を自らの法衣で縛り、磐梯山頂に伏せて、魔物が二度と出られないように大きな石を乗せて、呪文を唱えて密閉してしまった。 坊さんは、「これからはこの山の明神さまとして祀るから、民のためになるように尽くしなさい。」と言い聞かせた。 後に、麓に拝殿を造り、磐椅神社としたということである。 その坊さんは全国を行脚していた弘法大師で、会津の人々が身も心も健康でいられるようにと、会津に五体の薬師像も安置した。

※魔魅 ・・・ 人を惑わすばけもの




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