秋元発電所

発電所は長瀬川と酸川(すかわ)の合流点の北方の断層沿いに位置している。磐梯山を取り巻く地域は湖沼がたくさんあり、その水の活用として水力発電所が多数作られてきた。

この秋元発電所の西側を長瀬川が流れているが、1888(明治21)年の噴火で岩なだれによる土砂が厚く堆積したことで、大雨が降るたびに洪水被害が発生してきた地域でもある。その後、大正時代に洪水対策と電源開発の目的で桧原湖・小野川湖・秋元湖の堤防工事が行われ、昭和に入り、秋元発電所・小野川発電所・沼倉発電所が作られた。このようにしてできた水力発電所は、火山のめぐみの一つである。つまり、1888年の噴火で、磐梯山の北側にあった河川がせき止められて、桧原湖や秋元湖など標高の高い所に湖ができたことで、その高低差を利用した水力発電所が作られることになった。もし、磐梯山が噴火していなければ、現在磐梯山の北側には多くの水を貯めこむ湖はなく、発電所を作ることはできなかったであろう。

1934(昭和9)年に発電所建設の申請が出され、1937(昭和12)年に許可され、1941(昭和16)年に一部完成し発電を開始した。この完成後、下流に沼倉発電所が戦時中の最終期に作られた。この工事には戦時労働動員による中国人や朝鮮人の人々が従事した。この工事で亡くなった中国人と朝鮮人の慰霊碑が今でも沼倉発電所の近くにある。