「猫石」とは、磐梯山の古い時代の岩なだれで流されてきた巨石で、地元では「赤猫大明神」と敬われている。この猫石は長瀬川の東、伯父ケ倉(おじがくら)集落の北西のところにあるが、川を挟んで、西側にもう一つの巨石がある。これら二つの石には、つぎのような伝説がある。
「昔、磐梯山が噴火したとき、夫婦の猫が難を逃れて山を下り、長瀬川にさしかかり、雄猫は強いから川を渡って逃げ延びたが、雌猫は遂に川を越せなかった。それで雌猫は渋谷で猫石と化し、雄猫は白木城(しらきじょう)に生きながらえて、妻の猫石の参拝を欠かさなかった。」
この猫石には、旧暦4月12日にお祭りがあり、お参りに行ったときに笹の葉を取ってきて、家の神棚にあげれば鼠が出ないと言われ、養蚕の盛んな頃には相当の参拝者があり、お札も配られ賑わったとのこと。この石には、養蚕の大敵である鼠を退治する〝霊力〟が備わっていると考えられ、近隣の人たちから慕われていたという。
蚕養(こがい)信仰は古くからあり、小田(おだ)集落には会津若松市にある蚕養神社の末社としての蚕養神社があり、猪苗代の各地にある稲荷神社も広く蚕養の神とされ、吾妻(あづま)神社のご神体「お息」(おいき)の中に、蚕(かいこ)の形をした蚕養神が祀られ信仰されていた。また、志津(しづ)集落にある文殊堂には蚕養神が合祀されていて、養蚕家や製糸工場の女工さんたちが参拝し、手先が器用になるといわれていた。内野(うつの)集落では馬頭観音を蚕養神としており、達沢(たつさわ)の不動明王では蚕養の祈祷も行っていた。
猪苗代町土町(はにまち)にも「猫石」があり、昔、沢山の猫が群がって日向ぼっこをしていたとも言われていて、この石の上には「磐梯山災死者招魂碑」が建てられている。
白木城集落は磐梯山噴火後に今の場所に移転したが「猫石」の近くの元の集落跡には、これも同じく移転した天徳寺跡の碑が建てられている。