[ DATA ] 周囲:19.8km 面積:4.6平方km 最大深度:約34m 水面標高:736m

中津川などの清流を集めた秋元湖の原風景は秋元原。明治維新の会津戦争で、会津側に参画して板垣退助率いる官軍に惨敗し敗走した新撰組は、ここに集結して行く末を語らっている。

秋元湖

1888(明治21)年の噴火では、岩なだれ(※1)が秋元原の集落を襲い、一村が埋没。この岩なだれによる長瀬川のせき止めで誕生した秋元湖は、その年の10月に満水となる。

この湖は吾妻連峰からの豊かな水と桧原湖・小野川湖など裏磐様にある多くの湖からの水を集めている。植物プランクトンの珪藻や底生動物のユスリ力類などが多く生息し、中栄養湖に分類。生息魚類はヤマメ・イワナ・ニジマスなど17種が生息するが、個体数は多くはない。湖岸にはイヌコリヤナギ・シロヤナギなど多くの種類のヤナギ類が生育している。水辺にはカヤツリグサ類やイグサ類が生育し、遠浅の湖底には絶滅危惧種のホザキノフサモなどのほか、イトイバラモの大群落が広がる。

※1 岩なだれ・・・大規模かつ高速で起こる山体の崩壊現象。火砕流や泥流とは異なり、 破壊された大小の岩が、マグマ物質を含まず、水もほとんど含まない 状態で流れ下りる。岩なだれの堆積地域では、起伏のある丘陵(流れ山)が形成。岩層なだれとも言う。