明治21年の岩屑なだれによる直線状の箱型の谷地形(アバランシュバレー)が観察できる。
リフト終点に立ち、北側を見ると雄大な風景が目に飛び込んでくる(上部写真)。
1888年の噴火では小磐梯が山体崩壊(※1)を起こし、岩なだれ(※2)が発生した。その原因でできた景色を一望できる場所なのである。岩なだれが流れ下った通り道が裏磐梯スキー場のゲレンデである。
北側正面には南北に長い桧原湖が見えるが、これも噴火によって河川がせき止められてできたものである。この湖や小野川湖、秋元湖が細長い地形をしているのは、もともとこの地域が谷地形であったからである。
桧原湖の中には数多くの島々が見られる。それは岩なだれによってできた流れ山地形で、実は湖水の下にはさらに多くの流れ山が沈んでいる。噴火以前には、桧原湖の東西の幅が狭い辺りに、細野という集落があったが、全て埋没し、住民のほとんどが犠牲になってしまった。

この細野から北に約2kmの所で農作業をしていた桧原村の斎藤豊吉の証言がある。
「畑仕事をしていたら、地震があり、その3度目の時に、いっしょに仕事をしていた二瓶茂吉が、磐梯山が抜けるから逃げろと、大きな声を出した。私は弁当を投げ捨て、子供一人を連れて逃げ出したが、その時には黒い煙の中に、家のような土石が、鉄砲のように、ゴウゴウという音を出して、勢いよく迫ってくるのがわかった。私はようやく逃げのびたが、茂吉や子供たちは、逃げられず死んでしまった。」
岩なだれのスピードは時速80kmに達し、ほんの数分で細野に到達したと思われる。どれほど恐ろしかったことだろう。
桧原湖の東側はすべて森となっている。樹木におおわれているため、この場所にも多くの流れ山地形があることを想像することは難しい。その右手には小野川湖も見える。
このスキー場のゲレンデは、1954年に大雨による斜面崩壊で多くの土砂が流れた。火山の噴火やその後の土砂災害は、たまたまスキー場に適した地形を作ったのである。
リフト終点の直下の東側ゲレンデ斜面に、アカマツが3本まとまって生えている。五色沼周辺のアカマツ林が植林であることは知られてきているが、この3本も植林なのである。このような広範囲に植林をした遠藤現夢たちのエネルギーに驚かされる。
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