自然造形の一つである山は、古くから日本人の信仰対象として崇拝され、会津の人々が朝夕と拝する秀麗な磐梯山も古くから在地神として信仰されていたが、東北地方には岩手山や岩木山など「いわ」の字を冠する山があり、磐梯山も古くは「いわはしやま」と呼ばれ、その山姿を天に架かけた梯子(はしご)の様に高い山として形容した名であったと考えられる。
その東麓を南北に流れる長瀬川西岸の中位砂礫(されき)台地上に位置する長坂遺跡は、縄文時代後期から弥生時代前期の集落遺跡であり、これまでの調査で配石遺構や竪穴住居跡、埋甕(うめがめ)(※1)などの遺構が検出され、縄文土器や弥生土器、石器や土製品などの遺物が発見されている。
この中の配石遺構群は、遺跡南側の砂礫台地東端のやや張り出した地山(じやま)上に位置し、その配置は3基の配石墓と1基の石組遺構、5個の埋甕を中心にして、その北側を列石が一条巡るものであり、小規模ながらも群を成して墓域を形成しており、出土遺物の年代から縄文時代後期中葉の年代が与えられる。
配石遺構とは、標識や祭祀、埋葬などを目的として、大小様々な自然石を配置したもので、その形状は多種多様であり、古くから世界各地にみられ、石を横に並べたものを列石、石
を建てたものを立石という。特に石を輪形に配置したものを環状列石というが、山や夏至の太陽の方位を対象とした立地から、一般の生活遺構とは異なり精神的な遺構として理解されている。
日本の配石遺構は、山を対象とした祖先祭祀の遺跡であるともいわれ、全国に点在する配石遺構には、秀麗な山を望む場所に築かれているものがある。これは死者の霊魂は、山に昇るとされる自然崇拝が発展した山岳信仰と結び付くものとされ、静岡県の伊豆市上白岩(かみしらいわ)遺跡や富士宮市千居(せんご)遺跡では富士山を望む場所に営まれ、秋田県鹿角市の大湯(おおゆ)環状列石では、三角形をした黒又山が北東に望まれるという。
本遺跡における配石遺構群の立地も、山々の尾根や裾野に囲まれた閉鎖された空間であるにも関わらず、唯一東方向にのみ開析された谷間があり、その先に秀麗な布森山の山頂が望まれる場所であって、山を信仰対象とした祭祀遺跡である事が理解される。
※1 埋甕(うめがめ)・・・縄文時代の深鉢形土器を土中に埋めたものを埋甕と呼ぶ。これらは、住居の内部に埋めたものと住居の外に埋めたものがある。