火山噴出物と亀ヶ城
亀ヶ城(猪苗代城)跡があるなだらかな小丘は、今から20万~40万年前に、赤埴山を造った火山活動で噴出した溶岩や火山灰が、ここまで流れてきて形成された地形である。亀ヶ城は、磐梯山の火山活動でできた地形をうまく利用して立地している。
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亀ヶ城の歴史

中近世の猪苗代地方を統治する拠点として機能した猪苗代城は、古くは亀ヶ城と呼ばれ、磐梯山南麓より沖積地に突出した地形を巧みに利用して縄張された平山城であり、中世には猪苗代氏代々の居城、近世には会津藩の東を守る支城として幕末まで城代が置かれた。本丸には文禄~慶長期の野面積(のづらづみ)石垣や櫓門(やぐらもん)の礎石が残り、往時の姿を偲ばせる。
また1589(天正17)年に南奥の覇者を決すべく会津の葦名(あしな)義広と米沢の伊達政宗が戦った摺上原(すりあげはら)古戦場は、この磐梯山南麓の広大な裾野に展開している。
