1888年噴火の慰霊碑
磐梯山噴火は多くの犠牲者を出したので、被災地にいくつかの慰霊碑が建立された。このエリアには、3ケ所の慰霊碑がある。磐梯祭りで執り行われる磐梯山噴火の慰霊祭は、碑の建立されている西円寺(さいえんじ)と西勝寺(さいしょうじ)で毎年交代で行っている。
磐梯山災死者招魂碑
篆額 / 陸軍大将・熾仁親王
撰文 / 内閣書記官長・小牧昌業
書 / 元老院議官・巌谷 修
明治22年7月建立
所在地 猪苗代町土町
碑文には、磐梯山噴火の被害状況、被災者数、義捐金などが記録されている。被災地に建立されている慰霊碑の中では一番大きいもので、台座は、猫石と呼ばれている自然石を使用している。
磐梯山破裂罹災死没之墓
明治22年10月15日建立
所在地 猪苗代町新町 西円寺境内
磐梯山噴火で犠牲になった姓名の不詳者52人を合葬したもので、恩賜金や義捐金によって建立された。
招魂之碑
撰文 / 南摩 綱紀
書 / 東京 成瀬 温
建立者 / 北会津郡若松七日町 故玉川正興妻 清子
明治21年9月建立
所在地 猪苗代町新町 西勝寺境内
建立者の玉川清子は磐梯山噴火で犠牲になった人たちを悼んで、この碑を建立した。盆踊りは、この碑を囲んで行われていたこともある。