法正尻遺跡は、磐梯町の法正尻地区から猪苗代町遠出にかけての翁島丘陵地東部、標高560m前後の場所に営まれた縄文時代中期(およそ5,000年~4,000年前)を中心とする集落遺跡である。遺跡の位置する丘陵は、火山性の岩なだれ堆積物から構成された直径200~400m、比高10~50mほどの小丘、いわゆる“流れ山”が連続した波曲状の地形をなしている。流れ山の間は窪地や小盆地のようなところが何箇所もあって、かつては湿原や沼地も多くあった。こうした窪地は、流れ山が風よけとなり、豊富な湧水もあって、古くから生活する上で好適地であったに違いない。
法正尻遺跡では、1988(昭和63)年から平成元年にかけて磐越自動車道建設に伴う発掘調査が行われた。その結果、竪穴(たてあな)住居跡129軒、土坑759基、埋甕(うめがめ)(※1)26基などが見つかり、出土した遺物は実に26万点という膨大な数に上っている。大木式(だいぎしき)土器と呼ばれる東北地方南部を代表する縄文土器が多く出土したほか、関東地方の阿玉台式(おたまだいしき)土器や東北地方北部の円筒式土器と共通するもの、新潟県に分布する馬高式(うまたかしき)土器と似ているものも含まれており、周辺地域との交流があったことが裏付けられた。2009(平成21)年には、こうした文化の交流の実態に迫る貴重な出土資料として、縄文時代中期を中心とする土器・土製品・石器など855点が国の重要文化財に指定されている。中でも装飾品として身に着けた長さ8cm以上ものヒスイ製の大珠は、新潟県の糸魚川地区産の石材で、規模の大きな遺跡に限って出土する大変珍しい遺物として知られる。その他、石器に利用された黒曜石もまた新潟県や栃木県からもたらされたことが分析によって判明している。このように、出土したさまざまな遺物は、今から約5,000年前、山間のこのムラに多くのヒトとモノが集ったことを物語っており、その情景はまさに縄文文化の十字路と呼ぶにふさわしい。