新編会津風土記によると、1190~1195(建中年間)年に、猪苗代の領主となった猪苗代経連(つねつら)の家来が聖観音の像を背負って、川桁山の麓に一宇(いちう)を営み、聖観音の像を安置して、寺名を川桁山(かわげたさん)観音寺と称して、経連の菩提寺としたという。

1573(天正元)年に寺は焼失して再興できなかったが、1592(文禄元)年に、越後国(新潟県)蒲原郡指合村光明寺五世存鏡(そんけい)和尚の弟子、蘭宗(らんそう)和尚が来て再興して観音を祀り、山号を川桁山から慈應山と改め、光明寺の末山となり、曹洞宗になった。

寺のある村名は当初、真言宗の総本山高野山(和歌山県)に因んで、高野村としたが、観音寺の号を取り観音寺村と改めた。観音寺川扇状地の荒野を開墾して作られた集落なので、荒野村とも書いた時もあったが、村が困窮したので、幸野村と改めたという。

観音寺の本尊は聖観音であり、猪苗代三十三観音(日本遺産認定・会津の三十三観音の一つ)の一番札所になっている。ご詠歌は「陸奥(みちのく)のここぞ荒野の観世音誓は高きいわはしのやま」である。

山門は、桃山様式の建築で、龍や鳳凰などの彫刻は往時を偲ぶものである。猪苗代町の重要文化財に指定されている。

さらに、境内にある石造の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、1411(応永8)年の銘があり、本寺跡から移築されたもので、福島県の重要文化財に指定されている。

観音川河川敷に植えられている桜並木は、4月末から5月初めに咲くが、桜の名所となっていて、近在近郷から多くの花見客で賑わっている。

観音寺川の桜観音寺川の桜