【第七章】震災遺構請戸小学校
こんにちは。
本日は、火山ではないお話を少ししたいと思います。
今日で東日本大震災からちょうど11年が経ちました。
きっと、日本に住んでいる皆様がそれぞれ色んな想いで今日をお過ごしかと思います。
タイトルにもありますが、先日私は以前から足を運びたいと思っていた『請戸小学校』へ行ってきました。
請戸小学校は、福島県浪江町の海沿いに位置する小学校です。海から目と鼻の先にあるその学校は、11年前の今日地震と共に甚大な津波の被害に遭いました。ちょうど卒業式の予行練習をしていた日の事でした。
浪江町は今も帰還困難区域として指定されていますが、そのエリアに請戸小学校は今もなお当時の姿のまま残っています。そして昨年の10月に『震災遺構請戸小学校』として開館しました。
なぜ私がこの学校へ足を運びたかったか。それは磐梯山噴火記念館の佐藤館長が地元の学校向けに行う防災授業にて何度もこの学校の名前を聞いていたからです。
佐藤館長の防災授業では、震災当時請戸小学校が海抜約4mに位置する学校にもかかわらず、学校にいた全校生徒が先生たちと共に無事避難できたのは、その学校で『津波が起きたらこの学校は危ない』という意識の元防災訓練が行われていたこと、そして津波が起きた際の避難ルートを知っていたからだと、ハザードマップの大切さを地元の学生さんたちに教えています。
そのストーリーは防災授業を何度も見学していた私にも強く印象に残っていて、いつか私も請戸小学校を見学しなければと思っていました。
私はこの時震災後初めて浪江町に足を運びましたが、実際に見た請戸小学校は広く綺麗に整備された防波堤、そして広く綺麗な道路を走ったところにありました。
広大な土地にポツンと当時の姿のまま残っている請戸小学校。それはまるで新築住宅に置き忘れ去られたアンティーク家具のような印象を受けました。その光景が今も私の脳裏に色濃く残っています。
佐藤館長は防災授業の時に必ず『東北沖地震は、自然災害だけじゃないです。人災です』と仰います。
今回請戸小学校に足を運んだことによりその意味を痛感いたしました。
浪江町には今もなお帰還困難区域という看板が至る所に設置されていて、すべての民家には人が入れないようにバリケードが設置されています。
この町にはいつ『暮らし』が戻ってくるのでしょうか…。
自然災害と隣り合わせな私たちの暮らしは、災害によって生活が一瞬で一変する恐れがあります。
火山もその要因の一つになり得ます。
一人一人が常に防災意識を高めることで、起こりうる災害から守れる命が沢山あります。
皆様も、コロナウィルスが終息したら是非いちど請戸小学校へ足を運んでみてください。
なお、震災当時の請戸小学校の避難当時の様子をそのまま絵本にした『請戸小学校物語』という本があります。
こちらも是非あわせてご覧ください。
以下の写真は全て震災遺構請戸小学校にて私が撮影したものです。
生々しい写真もありますので、ご自身の判断でご覧いただくようお願いいたします。